音大卒業後に音楽科の非常勤講師に就職したけど1年で辞めた話

私は今はクラリネット奏者として活動していますが、音大を卒業して1年目は高校の非常勤講師をしていました。

でも、非常勤講師として勤めたのは1年だけ。

安定してお給料をもらえる仕事を捨て、毎月の固定給がないフリーランスとしての道を歩むことを決めたのは、夏のことでした。

非常勤講師に応募したのは夏の終わり

大学4年生になって暫くしてから、私は自分が卒業してから何をするのか、全く決まっていないことに気付きました。

音楽教室で教えるでもなく、仕事をくれる先輩や先生のツテもあるわけでもない。

あれ??私、どうして音楽で食べていけばいいんだろう??

そんな風に路頭に迷っていた時に見つけたのが、非常勤講師の求職案内でした。

急遽、前任の先生が辞められることになって空いたポストに、私は運良くすべりこんだのです。

でも、そういう風に追い詰められている時って、すごく判断が鈍るんですよね。

今ならそう思えるんですけど。

自立して、音楽で稼ぐために、何か安定した給料のもらえる仕事につかなきゃいけない!

当時はそんな風に思ってました。

クラリネットが吹けない

4月から非常勤講師として働き始めた私は、楽器を吹く時間が全く取れませんでした。

取れない、というより、吹きたい、という気力がなくなるくらい、ヘトヘトになってしまった時が多かったです。

授業がうまくいったと思えるのは数回に1度。

自分の目指す授業をするために、試行錯誤を繰り返していました。

また、その時に住んでいた最寄り駅から、勤務先までは1時間半。

授業のコマ数は週に9コマだけとはいえ、慣れない業務に疲れ果ててしまい、自分の力のなさを感じるばかりの毎日。

もちろん非常勤講師の収入だけで食べてはいけないので、別にキャリア世代向けの女性アパレルブランドで、バイトもしていた。

先生が、バイト??

って思うかもしれないけど、非常勤講師のお給料は月9万円。

これでは食べていけない。

だから、もう1つ仕事をするしかなかった。

思えば、音大でずっと『演奏』ばかりしていた私は『授業をする』ということに関しては全然訓練が足りていませんでした。

1年目ということもあり、新しいことをやっているなら最初は上手くいかないことが多いのは当たり前だと思うのですが、当時の私にはそんなことを考える余裕もありませんでした。

そして、

クラリネットが吹けない。

このことが、自分をどんどん苦しめていきました。

先生になるために、音大へ行ったのだろうか?

その苦しさ=モヤモヤがピークに達した頃が、夏でした。

何も書いていない白紙の紙を用意して、自分が今抱えている悩みを言葉にして書いていきました。

まず書いたのは『なんかモヤモヤする』という言葉。

それに対して、「なんで?」と自分に問いかけて、矢印を引っ張り、『楽器が吹けないから』と書きました。

楽器を吹いている時は、楽しいし、幸せ。

でも、いまは、楽器が吹けない。

たのしく、ない。

自分の夢はなんだったんだっけ?

紙にいろんなことを書きながら、そんな思いが心に過ぎりました。

私は、中学校の吹奏楽部でクラリネットと出会い、中学2年生のときには

『プロのクラリネット奏者になる!』

と決めていました。

高校は普通科の高校に進学したものの、高校1年生の頃から音大受験のために福知山から尼崎や西宮に住んでおられるクラリネットやソルフェージュ(音楽をより深く理解するために必要な理論を教えてくれたり、新曲視唱やピアノを教えてくれる)先生のもとへレッスンに通っていました。

そして、演奏家になるために音大を目指し、推薦入試で大阪音楽大学に入学しました。

高校からの自分の人生は、クラリネット奏者になるためにあったと言っても過言ではありません。

『私は、クラリネット奏者になりたかったんだ』

自分が中学2年生から抱き、向き合ってきた夢を、この時もう一度思い出したのです。

あの夏、ベッドに寝そべって、苦しいな、と思いながら自分の心の声を書き出していく作業をしていなければ、今の私はいません。

背中を押してくれた、友人のブログ

私が、自分の中のモヤモヤと向き合うきっかけをくれたのは、友人が更新していたブログでした。

同級生のフルーティストで、記憶が正しければ、その時彼女はフランスに留学していたと思う。

彼女は静かな文書が書ける人で、ブログから異国の地で奮闘している様子がいつも伝わってきました。

ある日、そんな彼女のブログにこんな言葉が書いてあった

『逆境の中でこそ、人は成長する』

この言葉を見て、私は自分を重ねたのです。

いま、とても苦しい。

でも、この状況でこそ、私は成長するのだと、何度も言い聞かせました。

いまから自分の手で、自分の決断で未来を変えるのだと。

また、私の両親は教員をしていて、ずっと2人を見て育ってきたから、中途半端にやりたくないという気持ちもありました。

そんな思いに気付いたのは、非常勤講師として少し勤めた時だったけど。

教師という仕事は、人生をかけてやる仕事だと思っているのに、私は、他に人生をかけたいものがある。

1度切りの人生、悔いのないように生きたい。

こうして、夏休み明けには学校側に退職の意向を伝えました。

やっぱり夢をあきらめなくてよかった

いまは、『夢をあきらめなくて良かった』と思います。

でも、それは過去の私が自分の気持ちと向き合ったからです。

モヤモヤを感じる時って、いつも次の自分へ新しい一歩を踏み出す時だよっていう合図なんだと思う。

結局、2年目からフリーで活動することになって、最初はバイトをしながら活動していたけど、だんだん自分のことを知ってもらうことでお仕事も増えていきました。

正社員でなく、バイトでも月15万ほど稼ぐことは出来ます。

音楽活動をしながら勤務するのなら、バイトの方が時間の自由が効いていいかもしれません。

自分の仕事にかかる責任の重さも、正社員とバイトでは違うことも多いので、私は正直最初からバイトだけで生計を立てながら音楽活動をしても良かったかな、と思いました。

でも、一度『これは違う』と感じる道に行ったからこそ、そのあともう一度『先生に戻りたい』と思うことはなかったし、自分の夢を自分で叶えるために行動する、という当たり前のことに向き合うことが出来ました。

卒業して2年目には、1年ほど前から書き続けていたブログで私のことを知り、お仕事をくださる方も出てきました。

私は、こういう思いを持って、こんな活動をしています。

それが誰かに伝われば、お仕事につながるということを知りました。

進路を考えている音大生のみなさんへ

進路を考える時に、自分が選べる進路はこれとこれしかないよね。。と消去法で考えるのではなく、自分はどんな道を歩みたいのか?よーく考えるようにしてください。

でないと、『自分にはこれしか出来ない。。』とひたすらネガティブになるし、私のように本来抱いていた夢とまったく違う方向へ舵を切ってしまう時もあります。

音大の人たちは将来について考えている雰囲気をあまり出さない人も多いので、周りと同じ時に始めればいい、なんて思ってるとあっという間に4回生になってます。

正直、音大に行っていない人、音大を出たけど、エリートで音楽で食べていくことに関する悩みを共有出来ない先生、自分の夢を心から応援してくれていない人のアドバイスは聞いてもあまり為にならないことも多いです。

『不安』になるだけのアドバイスって、アドバイスじゃないですよ。

自分が本当にアドバイスを求めているなら、自分の夢を肯定し、具体的な行動を起こしたいと思えるような人にアドバイスをもらうようにしてくださいね。

自分の夢を切り開くために行動を起こすことは、早すぎるということはありません。

何かしなくちゃいけないって気付いた時に、動いてください。

私は、音大生のみなさんには自分が出来ないことよりも、出来ることの方がたくさんあるよって、みなさんに伝えたいです。

思いが行動を生み、行動が夢をつくる。

非常勤講師として勤務したあの1年がなければ、今の私はいないのだと思います。

非常勤講師をやめ、フリーランスで9年間やってきて、私が生涯向き合い続けるのは『音楽』と『地元・福知山』だということが分かりました。

これからも、その軸を大事に、自分の気持ちに正直に生きていきます。