創り続ける人はいつも孤独である



私はずっと、淋しさを感じる時が怖かった。

淋しさを感じる時、自分の感情はとてもシンプルでわがままだ。

そんな感情と向き合っていると、自分が弱くて情けない人のように思えて、淋しさは感じてはいけないものだと思っていた。

でも、最近その考え方が少し変わった。

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先日、ほぼ日の『今日のダーリン』の文章を読んで、淋しさについて考えていた。

http://www.1101.com/darling_column/yesterday.html

上記のURLはおそらく変わるので、一度スクショを貼らせていただきますm(__)m

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みんな、さみしさと共に生きているのだと思えるようになった。

だから、私がさみしさを感じることは当たり前のことなのだ。

息を吸って、吐くように、当たり前のことなのだ。

さみしさと共に生きる人のことを考えていたら、こんなメロディーが浮かんだ。

『さみしさのトナリ』

そんな曲名にしようかな。

感情を音にすると、とても素直な気持ちになれる気がする。

昨日、文章を読んでそれを音にして、今日は自分自身と向き合って。

こんな風に、自分と、自分の感情と、音楽を重ね合わせている時間は凄く尊い時間だと思う。

創り続けることは、いつだって怖くて、喜びに満ち溢れていて、絶望であり、希望でもあるのだ。

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この記事を書いた人

株式会社Locatell代表取締役社長 / 一般社団法人福知山芸術文化振興会 代表理事 / プロのクラリネット奏者としての活動を2023年9月で休止し、起業家として芸術文化・まちづくり・海外を軸に複数の事業を展開中

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