語学学習に長時間費やすようになってから、日常生活がすごく変わりました。
具体的には、物事に関する考え方が変わったという方が正しいのかもしれません。
本当に今やるべきことは何なのか?
その質問に対する答えがものすごくクリアになったんです。
今は『語学学習』と『音楽』がわたしの一番やりたいこと。
みっちり語学学習をやっている間に練習するのが本当に楽しい!
1日10時間勉強しても「あ、これだけしかしてないのか」と思ってます。
全然苦痛じゃないから、もっとやりたいって思うし、語学学習と楽器の練習って脳を使う部分がちょっと違うから、そのスイッチを切り替えるのも楽しいんです。
キーボードで音を確認していたら『あ、わたしもっとピアノ弾けるようになりたいんだな』という思いに気付きました。
ホールで自由にピアノを弾いて、お客さんと一緒に笑ってるわたしの姿が思い浮かんだんです。
このシンプルな気持ちにわたしはずっと蓋をしていた気がします。
いつからだろう?と考えてみると、音大生の頃まで記憶を遡ることになりました。
クラリネットの練習、副科ピアノの練習、学校の授業、そしてバイトとの両立がうまくできなかったとき、わたしはピアノの練習時間を減らしたんですよね。(バイトが楽しすぎてのめり込みすぎたっていうのもあるけど)
ピアノは大学1年生の頃が一番うまかったと思う。
触れる時間が圧倒的に多かったし、欲があったから。
4年生の頃は一番下手だったと思う。効率良く練習する方法も、こんな風に弾きたいというイメージもすごく少なかった。
それじゃあ上手くならないよね。
やっぱり、こういう風に演奏したい!っていう気持ちが本当に大事。
語学学習も、もっとこういう風に喋りたい!っていう気持ちがあるから毎日頑張れる。
そして、歴史や美術を勉強したり、小説をたくさん読んだりすると、イメージできる引き出しも自然と多くなる。
すべては繋がってるんですよね。
この繋がりの美しさに、尊さに、ようやく気づけたように思います。
今いる場所はまだまだ理想には遠いかもしれないけど、大切なのは、それらが実現するように今努力しているか?今行動を起こしているか?なんだと思う。
出来るかどうか?よりも強い思いがあるかどうかなんじゃないかなぁ。
わたしの英語とフランス語のレベルはまだまだだけど、勉強にはしっかり取り組んでる。
昨日のわたしより、今日のわたしの方が少し詳しくなってる。
そういう日々の積み重ね=小さな成長を、他の誰でもないわたし自身が心から喜んでいる。
前のわたしだったら、遠くばかりを見すぎて、この小さな進歩を素直に喜べなかったはず。かわいそうなことしてたなぁ、と今なら思える。
自分のことをちょっとしたことでも褒めてあげられる人は、自分のことを信じてるし、自分のことが好きだし、そういう人は周りの人も愛せるんだと思う。
勉強って、いろんなことを教えてくれるんですね。
わたしはいま31歳だけど、もっともっと勉強したいって思います。
語学学習に超前向きに取り組んでいるわたしを見て、ふと、クラリネット奏者としてのわたしを本当の本当は諦めたくないのに、潜在意識では諦めてしまってたんじゃないかなぁって、感じました。
だから、ウェブ、デザイン、プロデュースなどクラリネット以外のものも出来るようになるように頑張ったのかな?って。
それらが出来るようになったからこそ色んな出会いがあったし、色んなことが出来るようになったのは全然悪いことじゃないんだけど、もうちょっと音楽に対する気持ちに素直になっても良かったのになぁって思ったんです。
みなさんも心に蓋してませんか?
ちょっと開けてみてもいい頃かもしれませんね。