クラリネット奏者としての道を諦める前に、私は東京に行った。

昨日、こんなツイートを目にした。

『自分を認めてくれる人のそばにいるべきだ。』

その言葉が刺さった。

大阪にいたとき、周りにわたしを認めてくれる人は全然いませんでした。

クラリネット奏者としての活動を諦めるべきか、何度迷ったかわかりません。

でも、最後に頑張ってみよう、東京でジャズをやってみようと、わたしは1人で東京に向かったんです。

これは、ほんの数年前の話。

東京には、関西とまったく別の世界が広がっていて、わたしの作曲した曲や、興味を持っている音楽をいいね、と言ってくれる人がたくさんいました。

あたりまえのことだけど、環境を変えたら、しぜんと周りにいる人が変わったんです。

認めてくれる人がいるのは、すごく嬉しかった。

自分の存在が、やっと認められた。

音楽家として生きている実感を感じることができました。


中学校でクラリネットと出会ったわたしは、楽器を吹くのがとにかく楽しくて、ずっと楽器を吹いていたかった。

だから、プロになろうと決めました。

でも、音大に進学したものの音楽でどうやってお金を稼いでいけばいいのか、どうやってわたしの存在を沢山の人にしってもらえばいいのか全くわからないまま大学生活を過ごしていました。

仲のよい先輩で演奏活動をしている人は、みんなアルバイトをしながら演奏活動をしていました。

『最初はみんなそうだよ。音楽関係の収入だけで食べていくのは難しいよ』

先輩の言葉を聞いて、音楽で食べていくつもりで大学に入って勉強したけど、音楽で食べていくのは無理なんだ。。

すなおにそう思いました。

そして、在学中に演奏を仕事にする術を見つけられなかったわたしは、中学校のときから夢見ていた『クラリネット奏者になる』という夢を一度諦めました。

大学を卒業後は高校の非常勤講師となり、音楽を教える立場に就いたのです。

でも、どうしても夢を諦められませんでした。

『あれだけ好きだった楽器を、吹かないんだね。』

心のなかでもう1人のわたしがささやきます。

慣れない授業準備に追われ、片道2時間かかる勤務先との往復にヘトヘトになり、楽器の練習時間がとれない毎日を過ごすことがほんとうに嫌でした。

仕事と練習が両立できない情けない自分に、心底うんざりしました。

暑い夏の日、わたしはノートを広げて心の中にあるモヤモヤを徹底的に書きました。

どうしたら、このモヤモヤがなくなるのか?どうしたら、もっとしあわせに生きることができるのか?求めていることは何なのか?答えを探して、必死に書き殴りました。

あの夏の日がなければ、今クラリネット奏者として活動していなかったかもしれません。

わたしは、高校の非常勤講師を1年でやめることを決意しました。

関西でフリーランスとして活動したものの、なかなか手ごたえを感じることができない日々が続きました。

お世話になっていた方と一番力を入れたいもののプロモーション方法が真逆で、意見が対立したり、演奏家派遣業務をやるべきか迷ったこともありました。

いろんなことをやるうちに、何が正解なのか分からなくなって、どうしたらいいのか分からなくなって、またわたしの中に『クラリネット奏者としての道を諦めた方がいいの?』という言葉が浮かんできました。

でも、どうせやめるなら、精一杯努力してから、悔いなくやめたい。

そう思ったわたしは、クラリネット奏者としての道を諦める前に、私は東京に向かうことを決めました。

そして、東京に行くときに『30歳までに何者かになる』という目標を決めました。

その目標が、具体的にどんな状態を表しているのか?

明確に言語化していたわけではありませんでした。

でも、期限をつけると、期限から逆算してやるべきことが見えてきます。

わたしは、東京で住んでいた3年の間に、2枚のCDをリリースし、ずっと憧れだった演奏者の方とも共演することができました。

たくさんの人が、わたしの音楽を聴いてくれて、愉しんでくれて、すごくすごくうれしい気持ちになりました。

でも、ものすごいスピードで階段を駆け上がった結果、いろんな歪みが出てしまったんです。

それは渡仏前にとつぜん襲ってきて、今までの人生の中で一番楽器を吹かない時間を過ごすことになりました。

吹かなかった、というより、心が動かなくなって、吹けなくなってしまったんです。

体調も悪くなりました。

もう、毎日が本当に辛かった。

楽器と向き合うことで誤魔化していたあらゆることを言語化し、自分自身と向き合ったこの上半期は、『期限』を無理矢理設定したことから起こった歪みと向き合う日々でした。

でも、今月になって、今までの苦しさから一気に解放された自分がいます。

先日、セーヌ川沿いで語学学校の近くで買ったベーグルを頬張りながら、わたしは『何とか生き延びたなぁ。。』と思っていました。

慣れない土地での生活、言語が通じない日常、今日の日を笑顔で迎えられている保証なんて、どこにもありませんでした。

でも、なんとか生き延びたと思える今は、これまでの自分より、もっと自由で、希望に溢れてる。

だから、また懲りずにいろんな夢にチャレンジしようと思います。

でも、今度は、へんに区切りははつけません。

期限を決めず、自由に羽ばたいてみようと思います。

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この記事を書いた人

株式会社Locatell代表取締役社長 / 一般社団法人福知山芸術文化振興会 代表理事 / プロのクラリネット奏者としての活動を2023年9月で休止し、起業家として芸術文化・まちづくり・海外を軸に複数の事業を展開中

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