私はずっと、淋しさを感じる時が怖かった。
淋しさを感じる時、自分の感情はとてもシンプルでわがままだ。
そんな感情と向き合っていると、自分が弱くて情けない人のように思えて、淋しさは感じてはいけないものだと思っていた。
でも、最近その考え方が少し変わった。
先日、ほぼ日の『今日のダーリン』の文章を読んで、淋しさについて考えていた。
http://www.1101.com/darling_column/yesterday.html
上記のURLはおそらく変わるので、一度スクショを貼らせていただきますm(__)m
みんな、さみしさと共に生きているのだと思えるようになった。
だから、私がさみしさを感じることは当たり前のことなのだ。
息を吸って、吐くように、当たり前のことなのだ。
さみしさと共に生きる人のことを考えていたら、こんなメロディーが浮かんだ。
私たちはみんな「さみしさ」と共に生きていると知った時から大人になる。今日のほぼ日 https://t.co/7UeYM247Ixを読んで思い浮かんだメロディーを吹いてみました😌🎄 pic.twitter.com/7lcgJmynlf
— 吉田佐和子 (@sawaclarinet) 2016年12月25日
『さみしさのトナリ』
そんな曲名にしようかな。
感情を音にすると、とても素直な気持ちになれる気がする。
昨日、文章を読んでそれを音にして、今日は自分自身と向き合って。
何かを創り出す為に没頭した後ってなんだかむしょうに1人で過ごしたくなるのだけど、本当に1人になるのはちょっと苦手なので人の声が自然に耳に入るカフェで本を読みながら時間を過ごす。そんな時間が好き。
— 吉田佐和子 (@sawaclarinet) 2016年12月26日
何かを創るときって必ず孤独な時間があって、孤独な時間には淋しさがあって、そんな時間を経て生まれた作品が誰かに届いて色んな感情に出会えたときにようやく自分は独りではないのだと気付く。
— 吉田佐和子 (@sawaclarinet) 2016年12月26日
こんな風に、自分と、自分の感情と、音楽を重ね合わせている時間は凄く尊い時間だと思う。
創り続けることは、いつだって怖くて、喜びに満ち溢れていて、絶望であり、希望でもあるのだ。