人は誰でも大なり小なり秘密を抱えて生きているとわたしは思う。
その秘密が突然誰かからもたらされることもあるだろうし、思いがけず秘密を抱えることになることもあるだろう。
平野啓一郎の『透明な迷宮』を読んだ。
平野さんの作品は、いつも読み終えたあとに何とも報われない感情が心にのこる。
リアルな人生は、いつも分かりやすく明るくハッピーなものではないのだと教えてくれているようだ。
※この本は昨年わたしが誕生日を迎えたときに大倉さんがプレゼントしてくださったamazonギフト券で購入させていただいたものです。改めてまして、その節は本当にありがとうございました!
『透明な迷宮』は短編集になっていて、そのどれにも共通するのは「秘密」ではないかと思う。
それぞれじっくりと読ませてくれる作品ばかりで、先の展開が読めず、じりじりと迫ってくるものを感じながら読み進めた。
平野さんの作品を知ったのは『マチネの終わりに』という作品と出会ってからだった。
これは音楽が好きな人、音楽家にぜひおすすめしたい1冊だ。
また、平野さんの著書の中で『分人とは何か』という興味深いものがある。
「わたし」とは一人ではなく、幾人かの分人でつくられているという本。
友達といるときのわたし、家族といるときのわたし、職場でのわたし。。
いろんな「わたし」がいる。
このことに気づけたとき、それまでよりも少し楽に生きれるようになった気がする。
この本の中で『愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである』というフレーズがある。
たしかに、居心地が良いなぁと感じる相手といるときは、無理をしなくてよかったり、楽しかったり、ワクワクしたり、気持ち良い状態でいられているし、そんな自分が好きだなと思った。
平野さんの作品の大きなテーマは『愛』だと思うのだけど、わたしは音楽とは『愛』だと思っていることもあって、いまこれを書きながら、愛とはなんと幅広く多様なものなんだろうとふと遠くに思いを馳せている。