好きな人の音を真似てしまう

わたしは、好きになった人の音を真似てしまう。

小学6年生のとき、大阪から転校してきた友達の一人称は「うち」だった。
サバサバした性格で、すぐ仲良くなった。
わたしの一人称も「うち」になった。

中学生の頃、何かの拍子にわたしの一人称は「俺」になった。
ちゃんとした理由は覚えてないけど、「俺」と言う彼女のことが何故かとてもカッコよく見えたからだと思う。

男の子とドッジボールをしたり、サッカーをして遊んでいた小学生の頃。女の子といるよりも男の子といる方が楽な気がしたときも多かった。生理がきたときはすごく嫌だった。

もちろん「わたし」「うち」の出番もあったけど、ボーイッシュな格好が好きになったのはこの頃からかもしれない。

サバサバした雰囲気とか、女の子独特のドロドロした人間関係がなさそうなところとか、「女の子らしくいなきゃいけない」制約がない男の子が羨ましかった。

気が付いたら女の子として生まれていて、気が付いたら女の子として生きていたけど、わたしはどうもそのことに違和感があった。

最近になって、この「違和感」は、わたしがそう思っていることを認めようとしなかったから生まれたような気がした。
認めたくない感情が生まれることはたくさんあるのは自然なことだし、普通なのに。

大学時代に付き合っていた人の言葉のイントネーションを何気なく真似していたら「さわげ(大学時代のあだ名)の喋り方◯◯にそっくりやなぁ」と言われたこともあった。

あれからだいぶ年月が流れ、わたしが真似したい言葉は、日本語からフランス語に変わった。

フランス語を習っている先生のフランス語の音が、知識豊かな彼女が話すフランス語が好きだから、いまはあの音を真似したい。

わたしは、好意を抱いている人の言葉に魅力を感じる。

好きな人の言葉を、音を、気付いたら真似してしまうのは、小学生の頃からずっと変わっていないのだなぁと思う。

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この記事を書いた人

株式会社Locatell代表取締役社長 / 一般社団法人福知山芸術文化振興会 代表理事 / プロのクラリネット奏者としての活動を2023年9月で休止し、起業家として芸術文化・まちづくり・海外を軸に複数の事業を展開中

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