今日もコロナウイルスの影響でコンサートのお仕事が飛んでいきました。
3月中旬に日本に帰国して、予定されていたコンサートは中止や延期になるばかり。
音大ではオンラインレッスンが行われていたり、緊急事態宣言が自治体によっては解除されるなんて話もあるけれど、それでもまたすぐにコンサートができるようになることにはならないわけで。。
わたしたち音楽家は相変わらず『いま何をすればいいのか?』を考え、行動し続ける必要があると感じています。
ちなみに、今だからこそチャレンジしてほしいなと思うことはこちらの記事に書いています。
▷コロナ禍の今だからこそ音楽家にチャレンジしてほしい12のこと
そして、中止や延期のメッセージが届くことに少し慣れてきた今、ちょっと冷静になって『これは本当に心からやりたい仕事だったのか?』と自分にたずねてみると色んな発見があることに気がつきました。
もちろん、大前提としてお仕事をいただけることはとても有り難く、嬉しいことです。
わたしはパリでほとんどコンサートに出演しない3年間を過ごしていたこともあり、1人でひたすら練習するのもいいけどやっぱり誰かと演奏したいんだ、と強く想って帰ってきたので尚更『誰かと一緒に演奏したい』という思いがあったのは確かです。
でも、コロナの影響で演奏のお仕事がなくなった今
- 自分がこれまで身につけた力でいま住んでいるふるさと福知山の人たちの役に立ちたい
- 体がしんどくなって家にいなければいけない時間があるから、なるべく家でできる仕事をしたい
そう思っていたことが現実に叶いはじめて、お金をいただけることになって。。
そこで生まれている心地よい人間関係を俯瞰して見たときに、これと同じような心地よさがない音楽の仕事がたくさんあるなと気付いたんです。
もちろんこれは音楽界に限ったことじゃないけど、やっぱり派閥があったり、男尊女卑的な思考を感じることが多かったり、これまで『仕方ない』ですませていた部分がどんどん汚く見えてきたのです。
だって最近自分がきっかけで始めたお仕事では、そういうのがないから。
もちろん、そういう汚い部分をひらりふわりと器用にかわしながら生きている人も知っているけど、わたしは本当にそういうのが苦手だし、性に合わない。
音楽の仕事はしたいけど、こういう部分を見ないフリにして生きることにはもう疲れたし、自分がその現場に行く以外でお金をいただけるようになったなら、その現場には行かなくていいわけで。
わたしはフリーランスだし、色んなお仕事をする複業タイプだし、本当の意味でやりたいお仕事だけして生きていくということをもっと意識して生きていきたい。
これまで見ないようにしていた部分に蓋をしないで生きたい。
そう思うと、関わっていて心地よいと思える人が多いふるさと福知山市での暮らしはやっぱり幸せだし、いま新しく福知山で始めようとしているプロジェクトにはわくわくしかないのです。