パリのヴァンドーム広場にある『ショパン最後の家』とショパン晩年の作品

ショパンが生涯を終えた場所である『ショパン最後の家』がパリのヴァンドーム広場にあると知り、さっそく行ってきました。

ヴァンドーム広場と聞いてアクセサリーのお店の「ヴァンドーム青山」を想像した人って私だけじゃないと思うんですが、そんなことないですか?

パリの中でも美しい広場と言われるこの場所は、ルイ14世のために造られたそう。

真ん中には、王の騎馬像があり、それを囲むようにその周りには美しい建物が建っています。

ただ、まさかここに『ショパン最後の家』があるとは。。。

何も知らずに行くとスルーしてしまうんじゃないでしょうか。。

現在は、ショーメという宝石店がある場所です。

少し視線を上げてみると、こんなプレートが目に入ります。

大きくしてみましょう。

ショパンが住んだことを記すプレートが掲げられていました。

ピアノの詩人と呼ばれたショパン

ショパンってどんな人やねん〜〜

ショパンって名前しか知らんわ〜〜

という人でも、きっとこの曲は知っているはず。

子犬が遊んでいる様子を曲にしたと言われる、そう、『子犬のワルツ』です。

ショパンはピアニストであり作曲家でもあったので、その生涯で数多くの曲を作曲しているわけですが、あなたが既にショパンの曲を1曲知っているなら、この機会に仲良くなれるかもしれません。

ほら、歌手のヒット曲を1曲知ってれば何か「知ってる感」あるじゃないですか。

それと一緒で、まずは何か1つでもその人のことを知っていることがとても大事なのです。

ちなみに、ショパンは男性です。

シャンパンはお酒ですね。

ショパンは1810年にポーランドで生まれました。

今から約200年ほど前です。

シャンパンは1694年にパリの北東に位置するシャンパーニュ地方で生まれました。

今から約320年ほど前です。かなり前ですね。

ショパンは1831年、21歳のときにパリでの生活を始めます。

そして、26歳のときにジョルジュ・サンドという女流作家と出会い恋に落ちるのですが、1847年、37歳のときにはサンドとの11年にもわたる関係が終わりを迎えます。

今回わたしが訪れたヴァンドーム広場にある『ショパン最後の家』は、ショパンが39歳のとき、つまり1849年9月に引っ越してきた場所だそう。

亡くなる1ヶ月前に引越したことからみると、まだまだその場所で生活を送るつもりだったのかもしれませんね。。

ちなみに、死因は結核だったそうです。

明治の文豪、正岡子規、樋口一葉もおなじく結核で亡くなっています。

ショパンの晩年の作品ってどんな曲があるの?

せっかくなので、ショパンが亡くなった1849年付近に作曲された曲を紹介しましょう。

実は、最初に紹介した『子犬のワルツ』も晩年の作品なのです。

37歳、つまり亡くなる2年前の作品です。

1846-47年に作曲:ワルツ第7番 嬰ハ短調 Op.64-2

この3拍子のワルツは寄せては返す波のような音楽です。

ちなみに『子犬のワルツ』の作品番号は、Op.64-1。

そして、ワルツ第7番嬰ハ短調の作品番号はOp.64-2。

Op64の作品番号がついている曲は1は全部で3曲あり、それぞれ別々の人に献呈されています。

1846年に作曲:ノクターン第17番 ロ長調 Op.62-1

ノクターンとは「夜想曲」という意味です。

ちなみに「ノクターン」は英語で、フランス語では「ノクチュルヌ」といいます。

三部形式にはなっていますが、再現部はトリルなどが伴いかなり自由な展開になっています。

1845-46年に作曲:ポロネーズ第7番変イ長調Op.61「幻想」

ポロネーズとは、フランス語で「ポーランド風」という意味。

パスタに混ぜると美味しい、タマネギや挽肉とトマトで出来た素材ではありません。(それはボロネーゼ)

今回紹介した中で一番好きなのがこの曲。

ショパンの音楽が紡ぐ悲しい感じや切ない感じは正にピアノの詩人!なんですが、あまりの世界観に心が全部持っていかれちゃうんですよね。。

パリには、このヴァンドーム広場の『ショパン最後の家』以外にも、サン・ルイ島にポーランド歴史文学協会という場所があり、ショパンに関する資料が展示されているようなので、そちらも機会を見つけて行ってみたいと思います。

ではではまた!

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この記事を書いた人

株式会社Locatell代表取締役社長 / 一般社団法人福知山芸術文化振興会 代表理事 / プロのクラリネット奏者としての活動を2023年9月で休止し、起業家として芸術文化・まちづくり・海外を軸に複数の事業を展開中

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