最近熱く何かを語る人に会うと『わたしにもこんな時代があったな』と思うようになった。
その熱を懐かしく感じる自分がいるなぁと感じていた。
でも、わたしはきっと、何かに熱中して失敗して傷つくのが怖くなったんだと気づいた。
そうなるかどうかなんて全然分からないのに、誰かの前で大きく宣言して途中で道を変えたときに誰かに指を指されて笑われるところを想像して怖がった。
音大時代の話
そういえば、これは大学1年生のときの実技試験が終わったあともそうだった。
わたしがそのとき吹いた曲は、自分の実力からすると少し簡単な、守りに入った選曲だった。
自己肯定感が低かったわたしは『秀』の成績が取れたけれど、そのことに対して「簡単な曲だったからだ」と思ってしまい、自分の努力を褒めることはなかった。
また、そのあと難しいと感じる曲が試験曲になったときに不安しかなかった。
自分の実力より上のレベルの曲に取り組むことで大きく成長出来るのに、もしそれが出来なかったらどうしよう?という不安に対してどう対処していいかよく分からなかった。
結局、2年生以降は卒業するまでずっと成績は『優』だった。
いつもそういうわけじゃないけど、数年前にもう本当にこれ以上何をしたらいいのか分からなくなって音楽家をやめようと思ったときから、がむしゃらに頑張ることをどこか避けるようになってしまった部分があった。
結局わたしはいまも音楽家をやめていないし、今は日本に帰国してからのプロジェクトの準備をしている。
最近、わたしは自分のことをもっと知るために行動を起こした。
そこではいろんな自分に気付くことが出来ていて、周りの人と違うことをすることが好きなのに、周りの人の声を怖がる自分がいるのにも気づいた。
むちゃくちゃ矛盾してて、思わず笑ってしまったんだけど(苦笑)
いつも熱く生きる人
最後に、いつもむちゃくちゃ熱く生きている新井リオさんの本が発売された。
彼の英語とデザインと音楽にひたむきに向き合う熱量はこの動画を見てもらったら分かると思う。
ちなみにわたしが好きなのはこの動画。
この動画を見てたら新曲が思い浮かんできたので、それは帰国したらみんなに聴いてもらいたい。
恐れずに、進むかっこよさを表現した曲になる予定。