吉田佐和子の詳しいプロフィールにアクセスしていただきありがとうございます。
なかなか紆余曲折のある人生ですが、興味のあるところから読んでいただけると嬉しいです!
これまでの人生
出身地は、明智光秀が建てた福知山城がある京都府福知山市。父と母と妹の4人家族。両親は2人とも教員で、父は中学校の社会科担当、母は小学校に勤務しています。
現在農家民宿を営みながら2拠点生活を送る妹とは周囲に驚かれるほど仲良し。
小さい頃から好きなことに自由にチャレンジ出来る環境で育ちました。
ふるさとでの活動を始めるきっかけになった小学校時代の思い出
6年生の時に地元の新町商店街を通るとなんだか寂しい感じがしたものの、『この寂しさは大人が何とかしてくれるんだな』と思っていました。そのときの私は自分のことを子供だと思っていたし、子供にまちを変える力はないって思ったから。でも、あのとき感じた思いが、今の福知山での活動の原点となっています。
クラリネットと運命の出会いを果たした中学時代
クラリネットと出会ったのは、中学1年生のとき。とにかく演奏することが楽しくて『プロのクラリネット奏者になりたい!音大に行きたい!』と思うように。
数学は全くできませんでしたが、みんなと何か1つのことをつくりあげることが大好きで、生徒会活動に励んでいました。昔から好きなことにしか全く取り組めない性格です。
希望の音大を諦めた高校時代
中学時代からずっと愛用してきた楽器がプラスチックだと指摘され、猛烈にショックを受けて始まった高校時代。木で出来たクラリネットを買ったのは高校に入ってからでした。
1年生の前期から3年の前期まで5期連続で生徒会に入り続けた上に、部活動にも夢中だった私。音大受験の準備をおろそかにしてしまい(全然あかん)、第一志望の音大は受けられませんでした。
初っ端からうまくいかなかった大学時代
推薦入試で大阪音大に入学するも『あなたはソリストとしてはやっていけないから』と言われ、動揺しつつも大学生活がスタート。
最初は、音楽高校に通っていたり、親がクラリネット奏者だという同級生たちに劣等感を感じながら過ごしていました。
大学2年生の頃になると、大学がとてもつまらなく感じて必要最低限の時間しか学校にいない時期もありました。とにかく何をする気もおきなかったんです。
でも、4年生になってみると、気付いたら卒業の時期はもう間近!10月くらいに急遽応募があった高校の非常勤講師の募集を見つけて即応募!→就職することになりました。
卒業後の自分がどうなるのか想像もつかなかった中、卒業間近の3月に地元で高校の同級生とコンサートをしたところ、100名を超えるお客様にお越しいただき盛況に終わります。この経験が、2010年から続けている『フレッシュコンサート』の開催に繋がることになりました。
音大卒業後
大学卒業後は、ずっと自分に自信が持てず、自分のことが嫌いでした。
最近になって、ちょっと考え方を変えると、すごく楽になれることを知りました。
嫌いな自分を見るのが嫌だっただけだったのかもしれません。
・1年目:2009年
非常勤講師として教師生活を送りながら、『なんで音大目指してたんだっけ?』と考え、『クラリネット奏者になりたい』と中学時代からの夢を思い出し、1年で退職することに。振り返ると、この1年間は本当に毎日しんどくて、往復4時間の移動や授業準備に追われてほとんど楽器が吹けませんでした。
・2年目:2010年
フリーランス1年目。仕事がないので大学時代にやっていたマクドナルドのバイトを再開。音楽活動と両立させて働く。大阪に住んでいたけれど、地元を音楽で元気にしたいと思いコンサートを始めることにしました。
ただ、5月から12月まで毎月福知山でコンサートを行うものの、戦略を何も練っていなかったため、最後のコンサートに来てくださったお客様は10人。コンサートをやれば人は来てくれると甘い考え方をしていた自分を反省しました。
・3年目:2011年
フリーランス2年目。徐々に音楽の仕事が増え始めるものの、『売れる音楽』について考えて迷走。1年かけて『売れる音楽』と『やりたい音楽』は違うと気づきました。母の日に地元で開催したフレッシュコンサートが見事満席に!大成功に終えることが出来ました。
・4年目:2012年
実力や仕事の内容を振り返った時に、このままではいけない。と思うように。
クラシックをもう一度しっかりと勉強するため、海外への留学を意識して、レッスンを習う先生を決めるためにフランスへ行きました。
しかし、フランス滞在中に同時期にジャズの音楽に興味を持ち始め、ジャズを勉強したいと思うように。まずは日本でしっかり学ぼう!日本で一番しんどい場所である東京で学ぼう!と思い帰国します。
・5年目:2013年
6月末に東京へお引越し。ツテがあったわけではなく、ゼロからのスタート。
知り合いの方を伝い、細々と活動を開始。夏の終わり頃から独学で作曲を始めます。
わたしの作曲する曲はこんな感じです。聴いてみてね。
また、主催事業である「第12回フレッシュコンサート」にて、福田洋介氏に委嘱した福知山を題材にした全4楽章からなる吹奏楽曲、交響詩『福知山』を世界初演しました。
愛するふるさとのことを子どもたちの好きなこと(=音楽)で知ってもらいたいという想いからこの作品が生まれました。
・6年目:2014年
ブラジル音楽にハマり、なんとブラジルを代表するギタリスト・Joao Lyra氏のアルバムリリースツアーに参加することに。また、オリジナル作品8曲を収録した1枚目のアルバム『heart voice』をリリース。
フルートの多久潤一朗氏、オーボエの宮村和宏氏と吉田を中心にした「吉田佐和子Quartete classical side」を結成し、アメリカで活躍する話題の作曲家である挾間美帆氏やPedro Giraudoらのアレンジ作品なども取り入れながら、独自のサウンドを探し求めてライブを行う日々でした。
・7年目:2015年
2枚目のアルバム『Letter』をリリース。
こちらも全曲わたしのオリジナル作品が入っていて、歌詞の制作にも取り組みました。
自分のCDを出したい!タワレコにCDが並ぶようになりたい!という夢が叶いました..!!
また、第12回フレッシュコンサートを行うためにクラウドファンディングを実施。多くの方々のご支援のおかげで、51万円の資金調達することが出来ました。
この頃からSNSをつかった発信に興味を持つようになり、楽しみながら試行錯誤を始めました。
・8年目:2016年
6月に第13回フレッシュコンサートが大成功に終わりました。
東京に出る時に目標にしていたCDアルバムの制作という夢も叶えたとき、それからの生き方について再度考えた結果、3年3ヶ月住んだ東京を離れることに決めました。
福知山に帰ってからは、11月末に地元・福知山の魅力発信サイト『ふくてぃーやま』を立ち上げました。なんと、サイト運営開始1週間でウェブことりっぷとの連携が決まり、福知山市の広報誌でも取り上げていただきました。
・9年目:2017年
夫の転勤により、4月よりパリに移住することに。
移住した2017年からフランス語の勉強を始め、語学学校に通いながらヨーロッパの人々の自由な生き方に影響を受けました。フランス国立管弦楽団の首席奏者、パトリック・メッシーナ氏との出会いもあり、彼の素晴らしい音楽性とお人柄に大きな影響を受けます。
・10年目:2018年
10月よりフランス国立セルジー・ポントワーズ地方音楽院に入学し、現代音楽のスペシャリストであるピエール・デュトリュー氏に師事したことで、現代音楽の魅力に惹きこまれていきましたフランス語の発音やリズムとフランス人の先生方がアドバイスしてくださるフレージングが似ていることに興味を持ち、語学学習にも没頭するようになりました。
さいごに
ここに書いてない沢山の失敗もあったし、パリに来る直前〜2017年の末までは、音楽との距離感が分からなくなってしまったりもしましたが、いろんな方々のおかげで生きています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
これからも、わたしらしく生きていこうと思います。