先日パリのシャルル・ド・ゴール空港から書いたブログ、たくさんの人に読んでいただきました。
あの文章を書いているとき不思議と不安な気持ちが和らいでいることに気づいて、何かを創ることに集中している時間だけは恐怖を忘れさせてくれることを知りました。
今は無事に日本に到着し、実家のある京都府福知山市でこの文章を書いています。
帰りの飛行機の中で感じていた何とも言えない気持ちは12時間のフライトを経て日本に着く頃には薄くなっていて、最後は羽田空港で見た晴れやかな青空が吹き飛ばしてくれました。
お惣菜パンを買って小腹を満たし、伊丹空港へ向かう飛行機の中で寝ないようにと本を買ったのだけど、離陸前に寝てしまい起きたときには着陸態勢に入る直前でした。
そのあと伊丹空港から福知山へ帰るのはとても簡単で、高速バスに乗ればいいだけ。実は高速バスにゆられている時間が一番落ち着いていて、やっぱりわたしにとっての本当の意味での帰る場所は福知山なんだなと思いました。
わたしが日本に帰国したときは日本政府は自主的に家にいることを検討している状態だったけど、周りの人の安心と安全のために自主的に2週間は実家で過ごそうと決めました。
その後の数日間はちょっと放心状態というか、穏やかだけど何もやりたくないなぁという気持ちだったのですが、やっとこうして文章を書くことが出来る気持ちになってきました。
実家で暮らす生活は何とも快適で、これまでパリで暮らしている中で感じていたあらゆる負の感情がなくなり、やっぱりわたしには日本の生活が心底合っているのだということに気がつきました。
わたしは25歳くらいのときにパリへの留学を考えていたけど、渡仏することをやめて東京に住むことを決めた経緯があります。あのとき、その選択をして本当に良かったと思う。
もしあのとき海外へ行っていたとしても、わたしはきっと1年で帰国したと思うから。
どれだけ海外で勉強したくても、習いたい先生がいても、留学を希望していても、合わないものは合わない。
もちろん、わたしはその合わないパリに3年住んでいたし、音楽院に通ったり、世界三大オーケストラをはじめ数々のコンサートに足を運び、旅行も楽しみ、美術館にもたくさん通ったし、全く話せなかったフランス語も話せるようになった。
多くのものを得られたものの、やはりしんどい3年間だったのだなぁと今は思う。
いまはわたしの実家はを行き来するだけの生活だけど、全然苦しくありません。
わたしの部屋は角部屋で、2つの窓からは明るい太陽の日差しが差し込んでくる。
パリにいるとき、冬の間はとにかく起きれなくて、たとえば8時間寝ても起きると体が重くて仕方なかった。
なんでこれだけ寝たのに起きられないんだろう?
なんで朝こんなに体が重たいんだろう?
自分の状態も、自分のことに『なんで』と想うのが嫌だった。
こういう風に、自分のことなのに、よく分からない不調がパリにいるときは本当にたくさんあった。
日本で数日間過ごしてみて、あぁこれがわたしがパリで求めていた生活なのだと実感しています。
心が穏やかで、自然に感謝し、ないことよりもあるものに目を向けている。
パリから逃げるように帰ってきたけど、今はそれで良かったのだと心から思えます。
この記事を書くにあたってパリの写真を見ていたけれど、3年間住んでいたというより、3年間旅行へ行っていたような気持ちになりました。
たった数日間しか経っていないのに、わたしにとって既に日本が住んでいる場所になっていて、その適応力のはやさにびっくりしたのだけど、日本で『わたしが在りたいわたし』でいられていることはやはりしあわせなことだと思う。