しあわせのかたちは本当にいろいろあって、何が正解とかはないと思う。
でも、本当はみんな、しあわせになれる力を持ってる。
大事にされたい人から大事にされない人は、自分のこころをいつも傷つけてる人だ。
『あの人は何にも認めてくれない』
『自分は価値のない人間なのかな』
『あれだけのことをしたのに、なんで何もしてもらえないんだろう?』
こう考えているときは、どこまでもかなしくさびしくなる。
くらいところをさまよって、ずっとぐるぐるしてしまう。
本当はみんな自分のことを大事にしたいと思ってるのに。
暗闇から、出てこれなくなってしまう。
自分を大事にするってどうしたらいいんだろう?
と思ったときは、ただただ目の前の人に喜んでもらえることを考えればいいと思う。
大事にしたい人が、
どうしたら、喜んでくれるんだろう?
どうしたら、楽しんでくれるだろう?
そんな風に思って過ごす時間はとてもおだやかだし、しあわせだ。
大事な人に対する時間とお金のつかいかた
大事だと思う人には、自然と時間とお金を使ってることに気付く。
お金を使う、というのは貢ぐとか、そういうのじゃなくて。
相手が喜びそうなものを相手の誕生日や何かのお祝いのときに買ったり、そういうちょっとした心配り。
そういえば、だいぶ前にわたしが「こんどあの本買わなきゃ」とふとつぶやくように言ったら、実際に買ってきてくれた人がいた。
その本は、わたしが『買いたかった』ということに加え『プレゼントしてくれた人の気持ちがこもった』本になった。
誰かに思ってもらうというのはとても嬉しいことだなぁと、本を読みながら感じた。
先のことを計算して動くんじゃなくて、相手が喜ぶこと「だけ」を考える。
その先に、笑顔があればいいのだ。
そんなことを教えてもらった気がする。
自分がしてもらったことは、できる。
大事にされたことがある人は、自分を大事にできる。
自分が相手を思うことこそが何よりも自分をたいせつにすることになる。
自分を嫌いなひとを、どうして相手が好きになってくれるだろう。
どうしてたいせつにしてくれるだろう。
相手に、何かしたいと思っている時間は、とてもしあわせだ。
相手に何かをのぞみすぎたり、自分を傷つける時間は、とてもふこうだと思う。
大事にされたい人から大事にされない人は、自分のこころをいつも傷つけてる人だ。
自分がきらい
自分に自信がない
粗末にされるのがぴったり
そう思ってるときにこころの中の自分は泣いてるだろう。
粗末と孤独は違う。
人はみんなどこか孤独で、さみしくて、いつもさみしさと生きている。
でもそれは、自分を粗末にしているわけじゃない。
大事にされている人は自分の欲望のまま生きるのではなく、周りの人の喜びを考えて生きている人だ。
相手の喜びを考えられる人は、大事にされる。
大事にされたときにやっと、自分のことも大事に出来るのだと思う。