初めて訪れたベルリンで感じたこと

初めて訪れたベルリンは、パリよりも日本人が住みやすいように感じました。

人の雰囲気や服装、建物などが日本の雰囲気に近いなぁと。

もちろん人によって合う合わないがあると思うんですが、多分海外移住が初めての人はパリよりもドイツの方が住みやすい気がします。

ベルリンフィルのコンサートへ

まずはベルリンフィルを聴きにベルリンフィルフィルハーモニーへ。

91歳になるヘルベルト・ブロムシュテットの指揮。終演後はたくさんのお客様がスタンディングオベーションで拍手を送っておられました。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番の独奏をしたイェフィム・ブロンフマンの演奏もとても素晴らしかったです。

木管セクションのトップの人たちはみんな仲良しで、クラリネットのアンドレアス・オッテンザマーのソロが良かったときはすかさずフルートのエマニュエル・パユが褒めてたりして、仲の良い雰囲気を感じました。

ベルリンフィルには何人も日本人のメンバーがいますが、フランスのサウンドよりもベルリンフィルのサウンドの方がより日本人が持っているものに近い感じがしました。

今回はベルリンフィルしか行かなかったのですが、ベルリンにあるオペラ劇場「コミッシェ・オーパー」の前も通りました。

街のいたるところにいるクマ

街の中には『ベルリン・ベア』と呼ばれるクマがいたるところにいました。


リラックマとかクマのキャラクターってなぜか惹かれるんですよね。。


地下鉄の乗り換えで見つけたクマ。


ヒルトンホテルの前のクマ。


マリオットホテルの前にいたクマ。

ホロコースト慰霊碑

ユダヤ人犠牲者のために造られたホロコースト慰霊碑。

この慰霊碑は中心へ行くほど地面が低く、コンクリートで出来たモニュメントも高くなっていきます。

ベルリンの市街地に突如として現れる広大な慰霊碑は、建築前に慰霊の対象をユダヤ人に限定するのか?同性愛者や障害者なども含むのか?また、街の中心地に大きな慰霊碑を作る必要があるのかなどの論争があったようです。

ブランデンブルク門

ベルリンのランドマークであるブランデンブルク門。

今から227年前、1971年に建てられたプロセイン王国の凱旋門です。上部には四頭馬車と女神ヴィクトリア像があります。

チェックポイントチャーリー

チェック・ポイント・チャーリーとは、第二次世界大戦後の冷戦期、ベルリンが東西に分断されていた時代に東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所。

東側から見るとアメリカ、西側から来るとソ連の国境警備兵の姿が見えるアート作品があります。

ベルナウアー通り

当時の様子がリアルに伝わる「ベルナウアー通り」では壁を象徴する鉄棒が並んでいます。

また、壁が当時のまま保管されており、見晴台から壁を見ることが出来、壁が一枚ではなかったことなども見ることができました。

それにしても、この壁が1961年8月13日に一夜にして作られたというのは実物を目にすると、こんなにも重厚なものが一夜で現れるなんて、、とさらに信じられないくらいでした。


何より、1989年に壁が崩壊してからまだ30年しか経っていないという事実。今を生きるわたしたちは、この悲惨な歴史を決して繰り返してはならないですね。

ベルリンの壁を活かしたイースト・サイド・ギャラリー

1.3キロに渡って残るベルリンの壁に21ヶ国118名のアーティストが壁画を描いた『イースト・サイド・ギャラリー』にも足を運びました。

アート作品になってはいたけど、壁の高さと厚さから何とも言えない絶望感を感じました。

近くから見ると改めてその高さと厚さが分かります。


壁画の前でアイリッシュ音楽を奏でる小さなヴァイオリニストたちも。

ヴァイオリンといえば、以前見た『命をつなぐヴァイオリン』という、第2次世界大戦時にナチス・ドイツに侵略されたウクライナでの子供のバイオリン奏者を描いた作品を思い出しました。

神童と言われていたピアニストとヴァイオリニストの2人の子供たちが『完璧な演奏をすると命を助ける』『ミスをしたら処刑する』と言われ音楽を奏でるシーンはとても胸が苦しくなりました。

いま壁の前で音楽が聴けること、人々が笑顔で歩けること、何気ない日常がそこに在ることは、ほんの30年前まで見れなかった光景です。

ベルリン大聖堂

ホーエンツォレルン王家の記念教会として建てられたベルリン大聖堂。

内部に入ると美しい装飾と開放的な空間に目を奪われます。


立派なパイプオルガン。

天井画も美しかった。。

あいにくの曇り空でしたが、上からベルリンの街を眺めることもできました。

教会や大聖堂っていつまでも過ごせそうな雰囲気がありますよね。開放的な天井、広くて荘厳な空間がそうさせるんでしょうか。

ユダヤ博物館

現在改修中のため見れる作品が少なくなっていたユダヤ博物館。

建築はポーランド生まれのユダヤ系アメリカ人建築家ダニエル・リベスキンドによるものだそうです。

一番印象的だったのはこの作品。

この作品の上を歩くと鉄で出来たこの顔がぶつかり音が鳴ります。空間の高さがあるので、ぶつかり合った音はカチ、キーン、コン、と音が鳴ります。

顔の表情もさまざまで、犠牲になったユダヤ人の人々を連想させるようで、なんとも悲しい気持ちになる、考えさせられるアート作品です。

ベルリンを訪れて

今回ベルリンに行って思ったのは、当たり前だと思いますが2日間ベルリンに行っただけではまだまだ分からないことが多すぎる、ということでした。

以前行ったチェコのテレジーンの強制収容所で感じたものは、もっと暗く重たいものでした。

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ベルリンの壁のこと、ユダヤ人の虐殺のこと、ヒトラーの独裁政治のこと。

圧倒的に足りない知識と学習量。

それを変に悲観することはないけれど、ただただ「足りない」ということが分かった旅でした。

今回ベルリンに来るにあたり本当にわずかにドイツ語を勉強したけれど、それが活かされるときはなく、ドイツ語を聞き取ることは出来ませんでした。

わたしはフランス語を学んだことでフランス人の先生が指導してくださる際のフレーズの解釈がフランス語のイントネーションや会話の表現と似ていると思えるようになりました。

この前帰国したときに行ったリサイタルに来てくれた音大時代の同級生に「(いいのか悪いのか分からないけれど)吹き方が本当に変わった」と言われたけど、それは使う音と聞こえる音が極端に変わったことが大きく関連してると思うんです。

だからこそ、ドイツ語でも同じ体験をしてみたいと思ったのだけど、同等の体験をするための道のりはかなり厳しいということもわかりました。

でも「わからない」ということが分かったことが今回の旅の大きな収穫でもあったように思います。

ベルリンにはまた来たいと思っているので、次回訪問した際にまた様々な学びがあるように生きたいと思います。

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この記事を書いた人

株式会社Locatell代表取締役社長 / 一般社団法人福知山芸術文化振興会 代表理事 / プロのクラリネット奏者としての活動を2023年9月で休止し、起業家として芸術文化・まちづくり・海外を軸に複数の事業を展開中

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