わが家から徒歩20分ほどの距離にあるロダン美術館へ行ってきました。
ロダンの作品を全然知らない人も、この『考える人』は知っていると思います。
この作者であるロダンがアトリエとして使っていた場所が、現在ロダン美術館となっています。
アトリエと言っても本当にむちゃくちゃ広くて、ロダンが成功した人物であるということを実感させてくれます。
ちなみに、わたしはこれまでにいろんな芸術家の生家、住んだ場所、アトリエに行ってきました。
モネのお家兼アトリエ。(田舎にある。かなり広い)
ドビュッシーの生家(パリ郊外にある。それなりに広さはあるが、こじんまりしてます)
ドビュッシーの生家の様子はこちらの動画でもご覧いただけます。
藤田嗣治のお家兼アトリエ。(田舎にある。まぁまぁ広い)
モーツァルのお家。(都会にある。広い)
こうしてみると、みんな比較的広いお家に住んでましたね。
ただ、やっぱり最近訪れたザルツブルクのモーツァルトの家はとにかく広くて『あ、この人本当にお金持ちのお家に生まれたんだな』っていうのが分かりました。
モーツァルトの家の写真とかもまたブログにアップしますね。
さて、話を本題に戻してロダン美術館へ行ってきたわけですが、もともとロダンは貧しいお家に生まれ、美術学校を3回も落ちて、当時の「普通」なら彫刻家になれないようなポジションにいました。
でも、ずっと長い間下積み修行をして40歳のときに初めて独立し、アトリエを持ったのです。
ロダン美術館には彼が何度も試行錯誤しながら作品を作ったことが伝わってくる展示が沢山あり、何度も諦めずに創り続ける大切さを感じました。
また、ロダンは美術品のコレクションもしており、ルノワールの作品や、ゴッホの作品『タンギー爺さん』を見ることができました。
この作品から、ゴッホがどれだけ日本を愛し、浮世絵を始めとする日本文化に影響を受けていたのかが分かります。
どんな分野でも、極めている人は自分だけの表現を模索し、突き詰め、常に他者から学びそれを取り入れていれながら自分だけの表現、個性を追求してるんですよね。
今も歴史に名を残す人たちは、数多くの挑戦している。
挑戦の分母が多いということは、数多くの挫折や失敗も経験している。
だからこそ、成功がある。
これはパリに住んで数々の美術館を訪れて確信したことです。
過去に生きた人の歴史を知ることで、わたしはどのように生きていきたいのかと考えるきっかけになるし、わたし自身の困難にどのように立ち向かっていくのか・・?
彼らから学ぶことができると感じています。
ただ、ロダン美術館で一番印象に残ったのは、弟子であり愛人でもあった女性彫刻家、カミーユ・クローデルの作品『分別盛り』の生々しさでした。
ロダンとカミーユが出会ったのは、カミーユが20歳の頃。
内縁の妻・ローズがいるのにもかかわらず、カミーユと愛し合います。
なんと、3人の三角関係は15年も続いたそうです。
ロダンはローズとの間に子供が出来たのに、その子供を認知していなかったり、カミーユが妊娠したにもかかわらず、中絶させて流産させたり・・
いろいろ調べていると、ロダンの作品の素晴らしさとは裏腹に残念な一面を持った人だということを知りました。
ただ、ロダンのような人って現代にもいますよね。
特に芸術の世界に限ったことではないと思うんですが、素晴らしい作品を生み出している人が素晴らしい人間性を持っているかというとそうでない場合もたくさんあります。
そして、権力を持った男性が、権力を武器に女性を振り回してしまうことも。。
当時は女性の彫刻家が成功するには難しい世の中だったようですが、結局カミーユはロダンに捨てられ、精神的に病んでしまい、最期は一人寂しく病院で亡くなっています。
そう思うと、自分の職業を自由に選ぶことができる現代に生きていることや、さまざまな媒体で自分の表現を誰かに見てもらうことができる現代は本当に幸せだなと思います。
美しく才能あるカミーユは、ロダンと出会っていなければ、全く別の人生を歩んでいたのだろうなと思うととても切ない気持ちになりました。
カミーユの気持ちを想像するとすごく悲しいし、ロダンに同情の余地はありません。
彼が一生懸命努力してつくられた作品が素晴らしいものであるということは事実ですが、今回は彼の素晴らしい作品とは対照的にとても残念な部分を知ることになってしまいました💦
ただ、こうして作品の出来た経緯だけでなく芸術家の生き方を知ると作品が全く違ってみえてきたりします。それは様々なことを調べたからこそ得られる感覚で、そういう瞬間がすごく好きです。
パリに来るまでこんな風に美術館へ行ったりすることもなかったのですが、パリに来たことで知れた楽しさの一つでもあります。